― 感情と構造を切り分けるという選択 ―
この文章は、誰かを攻撃するためのものではない。
特定の女性を非難する意図もない。
むしろ、これは
自分の中にある不都合な感情を、放置せずに言語化する試みだ。
正直に言えば、
私は長い時間をかけて
「自分は、女性が苦手なのではないか」
そう自覚するに至った。
なぜ、そう感じるようになったのか
仕事や社会生活の中で、
私は何度も同じ感覚を抱いてきた。
- 女性が関与すると、議論が感情に引きずられる
- 指摘すると「空気が悪い人」になる
- 周囲や権力者が過剰に配慮し、是正が止まる
- 結果として、仕事のスピードと質が落ちる
これらは、
私が実際に体験してきた“感覚”だ。
同時に、
私自身の視点に強く依存した認知でもある。
ここを混同してはいけない。
まず、自分のバイアスを正確に認める
私は、自分の中にあったバイアスを否定しない。
- 感情が合理性を上書きするのではないか
- 指摘がリスクになる構造ではないか
- 是正より配慮が優先されていないか
そう感じていたのは事実だ。
だが同時に、
それを「女性という属性」そのものに結びつけていた
自分の短絡も、確かに存在していた。
問題は性別ではなく「構造」だった
冷静に振り返って分かったことがある。
私が本当に嫌悪していたのは、女性ではない。
嫌だったのは、こういう構造だ。
- 成果と評価が結びつかない
- 発言に責任が伴わない
- 数値より感情が優先される
- 指摘する側だけがリスクを負う
この構造の中では、
誰であっても合理的に振る舞うことは難しい。
たまたま、そのポジションに
女性が配置されるケースが多かった。
だから「女性が原因」に見えていただけだ。
「女性が嫌い」という感情を、どう扱うか
ここで重要なのは、
この感情を正当化もしないし、否定もしないという姿勢だ。
感情は事実だ。
だが、判断基準にしてはいけない。
私が選んだ結論は、極めて実務的なものだった。
- 好き嫌いで人を判断しない
- 理解し合おうと無理をしない
- 感情ではなく、役割・数値・責任で接する
- 合わない相手とは、距離と接点を設計する
これは逃げではない。
冷酷さでもない。
自分と相手、双方を消耗させないための現実解だ。
この先、私はどう生きていくのか
私はこれから、
- 「分かり合うこと」を目標にしない
- 「公平なルール」を最優先にする
- 好悪ではなく、成果で評価する
- 構造を整える側に回る
そうやって生きていく。
女性が好きか嫌いかは、もう重要ではない。
重要なのは、
合理性を失わずに、自分の人生を前に進められるかどうか
それだけだ。
最後に
この文章に、強く反発する人もいるだろう。
同時に、胸の奥で「分かる」と感じた人もいるはずだ。
賛同するかどうかではない。
自分の中の感情と、
それを生み出している構造を
切り分けて考えられるかどうか。
それができる人間だけが、
不必要な対立から自由になれる。
執筆:佐藤(TKROOM)


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