食べ残しは恥である――食品ロスを生むのは“貧しさ”ではなく“思考停止”だ

日記

昼、やよい軒に入った。
おかわりで、軽く食べるつもりで半ライス程度を選んだはずが、押し間違えて中盛が出てきた。
一膳分より多い。

正直、きつい。
だが、私は残さず食べ切った。

理由は単純だ。
自分で選んだ量だからだ。

ここを放棄した瞬間、人は一気にだらしなくなる。


食べ残しは「失敗」ではない。「怠慢」だ

よくある言い訳を並べてみよう。

  • 思ったより多かった
  • お腹がいっぱいになった
  • 子どもが残した
  • 仕方ない

どれも聞き飽きた。

それは事故ではない。
判断を放棄した結果だ。

量を考えない。
先を想像しない。
責任を引き受けない。

この三拍子が揃った行為を、
「仕方ない」で済ませる社会の方が、よほど異常だ。


バイキングで残す家族連れは、教育を放棄している

バイキングで平然と残す家族連れが増えている。
皿に山盛り。
食べきれず、当然のように下げる。

注意されれば、
「子どもだから」
「まだ小さいから」
と逃げる。

違う。
教えていないだけだ。

「ジィジ」「バァバ」と呼ばせて微笑む時間があるなら、
食べ物を粗末にしないことを教えろ。

躾とは、優しさではない。
選択の結果を引き受けさせることだ。


多様性という言葉は、免罪符ではない

最近、何かあるとすぐに「多様性」という言葉が出てくる。

はっきり言う。

多様性とは、
無責任が許されることではない。

好きに取る。
残す。
注意されれば不機嫌になる。

それは価値観の違いではない。
思考停止だ。

多様性を盾にしたわがままは、
社会を豊かにするどころか、確実に腐らせる。


茶碗にご飯粒が残る人と、仕事はしたくない

これは偏見ではない。
経験則だ。

茶碗にご飯粒が残る人は、

  • 最後の詰めが甘い
  • 細部を軽視する
  • 自分の行動に無自覚

仕事でも同じことをする。

最後までやり切らない人間に、
責任ある仕事を任せたいと思うだろうか。

答えは明白だ。


馬鹿が通ると、道理が引っ込む

昔からある言葉だが、
いまほど実感する時代はない。

考えない人間が声を張り、
道理を語る人間が黙る。

その結果が、
食品ロスであり、
無駄であり、
責任なき社会だ。


食品ロスは、制度の問題ではない

SDGsだの、企業努力だの、
もっともらしい言葉は多い。

だが、食品ロスの大半は、
個人が考えれば防げるレベルの話だ。

  • 自分の腹を考える
  • 食べられる量を取る
  • 残さず食べる

それだけだ。

それすらできない人間が、
社会問題を語る資格はない。


恥を知れ

食べ残しは、
貧しさでも、余裕のなさでもない。

考えないことを恥だと思わなくなった結果だ。

多様性を言い訳にするな。
子どもを盾にするな。
まず大人が、自分の選択に責任を持て。

それができない社会に、
持続可能性など存在しない。


執筆:編集部(TKROOM)

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